友人が少ない人生の一例

以前に、知人女性に
「普通にしていたら、恋人も友達もそれなりにできるでしょう?」
とさらりと言われましたが、
あぁそうか、やはり自分は普通じゃないのかと
何時も以上に過ぎた若い時にしかできなかったことを
できなかった日々を悔やんだものです。
普通に生きて、友達が恋人も出来て、
就職に悩んだり
友達達と遊んだり、旅行に行ったり…
あれ、ほとんど経験していないよ。
数年前、ようやく憧れの団体女子会に頑張って行ったけど
存在すら忘れられた(新宿の夜)以来
普通になれない、と諦めた心の弱い自分。
人と話すのも慣れだ!と言っても、
女子会で知人も作れなかったから縁も切れ終了。
自分の殻に引き篭っていたので、話す話題がなく
ネットでオフ会を探しても躊躇してしまい
聞き上手になろう、と相槌を打っていたけど
話しないよね、と怒られた私★
今でも都会に一人で行くと
すれ違う、何気ない友人たちとの待ち合わせや
飲み会の楽しそうな集団に
羨ましい、と心底思います。
こうして行動せずに葛藤して、
孤独に死んでいくんだな…
と、将来がまる見えな四十路……
いかん、一人でも良いから
存在を憶えてもらって死にたい!!



反省を込めて見直す
非常にどうでも良い四十路の歩みー
小中学生の時、多少大型な体をいじられるも
どうにか友人もいて毎日過ごす。
昔のせいか土地柄のせいか
男女間の交際は表立つと学年中が騒然となる所だったので
当然自分も付き合うなど微塵も考えず卒業。
唯一のまともに人と接しられた時期に
チャンスを逃す。


高校一年のとき、外見を同姓にいじられ
同姓に色々言われたショックを受け
二年進級時に心がぽっきり折れ、登校拒否。
今思えば頑張れたなと思いますが、当時はバリバリ思春期時。
携帯のない時代だったので気軽に誰かに
メールもできない。
登校拒否の後ろめたさで中学の友人も会えず
完全引き篭り一年以上。友達ゼロ。
引き篭り2年目にして中退、
一年の時、一緒に行動しつつも
そんなに深い仲ではなかったクラスメイトから
励ましの手紙を貰い、その子のおかげで少しずつ外に。
暫く家にいたが、母親の毎日嘆く顔が辛く
勢いでバイトに出る。
バイト先で誰かと遊ぶという仲まで行かなかったけど
それなりに話ができるようになり
店長さんを好きになったりとトキメキメモリアル。
高校の友人とその友人達とも遊ぶようになり
楽しい日々へ。
引き篭り時代、誰かと関わりたくて出しまくっていた文通。
当時はネットがまだ一部に人しかしてなかった時代。
凄い時は毎日誰かから手紙が来ていたという…
コンプレックスの塊だった同年代女性、
写真を送ったら手紙が来なくなった男性、
障害を持った年上女性、
彼氏の話を毎回書いていて女子高生、
芸 能界関係(自称?)の男性…
色々な人としました。思春期の暴走。
今の時代では住所回すなんて考えられません。
そんな中、ゲームが好きなご近所(女性)さんと会うことに。
同年代で、話が面白く何時までも仲良くしたかったけど
私のつまらぬ嫉妬心で喧嘩をしてしまい数年後、音信不通に。
もう20年近く前だけど、今でも後悔中。
同じ引き篭りだけど、その出れば普通に友人を作れる子だった。
あの子は今、何をしているのだろう…
その女性繋がりで、今でも連絡できる仲の女性が一人。
この時期が、友達(文通仲間含む)最多期。


大検の受検のために塾に通う。
生憎塾で友達が出来なかったので
後半はサボるようになってしまった…
バイト代も入るようになっていたので
こっそり寂れたゲーセンでバー●ファイターをする日々。
男だらけ、煙草塗れの店内に思春期の女子が一人という…
声を全く掛けられずwww
親不孝時代。


大検に受かりながらも、大学受からず
専門学校へ行く暴挙へ。
引き篭ったりしていたので、クラスメイトが皆年下。
クラス中心人物男子と席が隣になり
ブスの隣最悪といわれ、またしても不登校
弱すぎる私。
同じクラスの女子が私含め三人で
年下で可愛いくて、ゲームばかりしていた自分と
全く話が合わず馴染めない事も追加。
また中退。
このときも高校のときも、親身になってくれて
良い先生達でした。
母親は諦めていたが、親不孝すぎて泣けてくる。
就職もできずに、バイトしながら生きていくんだろうなと
将来まるで見えない。
この頃は文通も完全としなくなっていた。
高校時代に手紙くれた子とも会えなくなり虚脱感。
徐々に友人が少なくなっていく。


以上、大体な20代前半。